神流町中里地区から秩父へ抜ける国道299号沿いに「漣岩(さざなみいわ)」として知られる崖があります。
約1億2000万年前の白亜紀に水の流れたあとがそのまま残ったもので、県の天然記念物にも指定されています。
当時は水平だった水辺が、地殻変動で傾いて今では垂直に近い崖となっているのでした。
その「漣岩」には不思議なくぼみがついています。1985年(昭和60年)にそのくぼみは恐竜の足跡と認定されました。日本で初めて認められた恐竜の「足跡化石」です。
■ 足跡認定
漣岩は1953年(昭和28年)の道路工事で姿をあらわしました。その後、1957年(昭和32年)に調査されて、1965年(昭和40年)には県の天然記念物に指定されています。
しかし、長い間、漣岩に残されたくぼみは謎だったのです。このくぼみが恐竜の足跡と認定されたのは、姿をあらわしてから30年以上もたってからのことです。
中里は関東では数少ない白亜紀の地層が露出している場所です。そのため、昔から多くの学者・学生が地質や化石の調査に訪れていました。
その中の一人、松川博士は学生の頃からこのくぼみに興味を持っていました。そして、考え得るくぼみのでき原因をすべて挙げて検証した結果、1985年(昭和60年)に「恐竜の足跡である」という研究結果を報告しました。
■ 足跡の種類
上の写真で、左上に白い矢印で示した大きな2つの穴は大型の二足歩行恐竜の足跡、右下の白い線で囲った部分は小さな獣脚類(二足歩行の恐竜)が何匹か歩いた跡だと考えられています。
中里の足跡化石は、実際に足跡のついた地面のもうひとつ下の層に上から押された跡が残ったもので、「ゴーストプリント」と呼ばれるものです(右図参照)。
発見されてからの年月が長いので、保護してあるものの残念なことに風化が進んでいます。最近、日本の各地でも足跡化石が見つかるようになりましたが、「見つけたて」のそれらの足跡に比べて、中里の足跡は不鮮明に見えます。
特に右下の小さな獣脚類の足跡は松川博士の研究当時に比べても磨耗しつつあります。国道299号の交通量が増えたせいもあるかもしれません。その不鮮明さは歴史を語っている、ともいえます。
■ 在りし日の中里
足跡がつけられた当時、このあたりは河口の三角州でした。付近から見つかる貝の化石が真水と塩水が混じるところに棲んでいる種類であることや、地層の性質などから、ここが海と川の交わる河口付近だったことがわかります。
また、植物の化石から、当時は熱帯ないし亜熱帯の乾燥気候であったと考えられています。
白亜紀の中里では、温かく乾燥気味だった河口近くの浜を恐竜が行き来していたのです。